Trail / Photo abstracting
私が滞在しているアトリエは、自分自身の生活の基盤となるような場所でありながら、同時に作品制作を行うことや、自らの意識を能動的にはたらかせるときの「はじめの具体性」、つまり、行為の起点となる場でもある。
人間の意識下で、常に更新され続けているであろう「表象」のごくわずかを、作品を通して解剖してみたい。まず、意識にとっての源泉は、知覚である。その知覚によって認識されたそれぞれの対象が、既に意識の中に集積している「表象」にたどりつくことで、もとある「表象」は分裂/癒着を通して変化し、新たな「表象」へと生成されていく。このような「意識の合流地点」の運動は、我々の内部現象として人知れず動き続けているのであろう。
作品が、抽象度の高い”イマ”という生を宿すように、作品「Trail」の上では「意識の合流地点」としての内的な”イマ”が外部に組みたち、さらに外部(私や鑑賞者)に知覚されることでその意識が変容するという循環的な運動を起こしている。
人間の意識下で、常に更新され続けているであろう「表象」のごくわずかを、作品を通して解剖してみたい。まず、意識にとっての源泉は、知覚である。その知覚によって認識されたそれぞれの対象が、既に意識の中に集積している「表象」にたどりつくことで、もとある「表象」は分裂/癒着を通して変化し、新たな「表象」へと生成されていく。このような「意識の合流地点」の運動は、我々の内部現象として人知れず動き続けているのであろう。
作品が、抽象度の高い”イマ”という生を宿すように、作品「Trail」の上では「意識の合流地点」としての内的な”イマ”が外部に組みたち、さらに外部(私や鑑賞者)に知覚されることでその意識が変容するという循環的な運動を起こしている。
ナマモノであり、生きている「生」としてのイメージは、そこに見えているものと見えていないものの違いを、とてつもなく小さな事柄として捉える知覚のスキマをもたらすように思う。(2024.2)
Trail / text abstracting
1日ごとに、その日書き留めた言葉と自分で綴った散文やキーワードを水溶紙にプリントし、A5サイズのパネルに溶かし合わせた。言葉の一過性と”溶かす”という行為に宿る身体の無意識的な一回性が1日という区切りの中で固有に痕跡を残していく。溶け合い、再定着されたパネル上では、言葉の”読むこど”と"形”、すなわち”意味”と”イメージが行き交う。(2024.4)