〈ノエマの保存箱〉
ロラン・バルトは著書「明るい部屋」で《それは=かつて=あった》という写真に関する本質的な概念を検証し、それを「写真のノエマ」と呼んだ。 膨大な写真のデータは《ノエマの保存箱》として集合し、AI写真は《粉々になったノエマ》として世界のイメージを紡ぎ、あるとき、《それはかつてあったのかもしれない》という
個人的な温もりのようなものを連れ立って現れる。かつての写真の記憶を継承したイメージは、実態のない世界から掬い取られたものではなく、むしろ、あまりにも多くのノエマを含んでいるのかもしれない。〈ノエマの保存箱〉技法:AI写真生成、フォトアブストラクティング / 素材:水溶紙、顔料インク / サイズ:138×200mm / 2024
〈視線_庭〉
庭という存在は、自己の内外を往来するとき、その狭間にある接触地点のような“場所”だ。 一見すると人間が作った箱の中で管理されているようでも、庭はいつでも自然に動きまわり、不可視の何かと何かが侵食し合い、時に人間が定めた庭の領域を軽々と越えながら、種が持つそれぞれの活動を全うし続けている。 庭に視線を向けているとき、光が網膜を照らし、その情報を知覚し、認識して理解し、表象が更新され、庭の記憶として蓄積されていく。その一連の動きはほとんど一瞬のうちに、物を見るという活動の中で当たり前に行われることである。 庭と私たちの視線の混じり合いを解体しながら、庭と私たちの関係性がつくる時空間の流れを、ここにあるイメージの中に統合したい。
〈視線_庭〉技法:フォトアブストラクティング / 素材:水溶紙、顔料インク / サイズ:330×239mm / 2024
〈ふたしかさの標本〉
私が生活するアトリエの庭には、数多くの種類の植物が生息していることを知った。前に住んでいた人が植えたであろう植物、どこからかやってきた多くの植物。庭は人間や自然の営みの間で流動し、その時空間で巻き起こる現象を囲っている。 庭の植物を調べ、その名前を入力してAI写真生成を行う。事実であったはずの固有のものは、名称を与えられると不確かな情報へと抽象化していく。それらをイメージへと巻き戻し、物質的・身体的に溶かすという行為を行うことが、種や言葉よりも有機的な「特有の個体」へと構築していく。
〈ふたしかさの標本〉技法:AI写真生成、フォトアブストラクティング / 素材:水溶紙、顔料インク / サイズ:138×200mm / 2024
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2024.5 「SICF25」_表参道スパイラル 展示風景