trace
生前、身体を支える芯として体内に隠されていた骨は、命の消失の後に表出する。骨は”生きた”という証でもあり、そこにはその個体が生きていた痕跡が刻まれている。私はその生の痕跡に沿って身をゆだねることで、その個体と個人的な関係を結び、骨(私)と骨、あるいは生(私)と生(の痕跡)、あるいは個と個として対峙し合う。
水に溶ける性質を持つ紙に写真をプリントし、その写真を溶かしながら骨の表面を覆っていく。その個体であるが故に持つ固有の経験を写し出すために、その動物の生前の姿や、その動物がいた森の中、その動物に由縁のある場所をモチーフとして溶かし合わせながら骨に貼り付ける。骨の周りを覆っていた肉や臓器から置き換えられた表皮としての写真には、骨に触れ、関わりを持ちながら生の痕跡を受動した私の無意識の手の動きが描写され、また骨は内側へと還ってゆく。このとき私の意識はゆらぎながら感覚的に対象と同一化したり、環世界という深い森の中の結界にたじろいだりする。骨の形を写真でなぞらえることは、そのものの生へと自己の身体を重ね合わせ、同時に知り得ない個と個の境界に線を引く行為でもある。
表皮の写真を視線で追っていくと、”それが何者であるか”という記号的解釈よりも、”それがどう在るのか”という観察的視点や未知の個と触れ合うための思考が表出してくるかと思われる。ここでもたらされているものは「視線の解放」として開かれており、それは個と個の見る・見られるという関係性によって双方の居ること・在ることを肯定し続ける。