〈チプレッシーノ〉 技法:キャンバスに油彩、シルクスクリーン   /  素材:枯れたオリーブの木、オリーブ用土、オリーブ用肥料、支柱、ビニールタイ、イッスンムカデ、害虫駆除剤、素焼き鉢、鉢底石、鉢底ネット  /  サイズ:s20号 727×727mm  /  2023

〈22cmの革靴〉 技法:キャンバスに油彩、シルクスクリーン  /  素材:祖母の革靴  /  サイズ:s3号 273×273mm  /  2023
Living Images
 拝啓
「物の死」について考えてみる。物が"死んでいる"ようにふるまうときというのは、それが"誰かのもの"であるとしても、存在をその物自らが占有していることを私に実感させる。手をかけたのに枯れてしまったオリーブの木、亡くなった祖母が履いていた22cmの革靴。それらは生活の中で溶け込んでいるのに、根を生やしたようにしばらくずっと同じ場所にとどまっていて、どこか抜け殻のような"死"の空気をまとっている。もう何にもならない物、ただ在るだけの物。自分の中で息をひそめている"静止した時間"を、じっととどまるそれらの物に、しばらくは預けたままだった。
 キャンバスは「物の死」を収める墓になった。物が砕けて粒子になり、絵の具になり、イメージになった。その間ずっと物質は物質のままで、空間は調和を保っていた。そのことが、"観念としての生と死"よりも"物質であること"の方が本質的に自律していて、分裂や癒着を繰り返してもどこかに在り続けるということの実証だった。物がイメージになり、物質と表象が一体化する。キャンバス上のイメージは求心性と遠心性をはたらかせて、その生を再生させている。
 その物の輪郭、重さ、手触り、佇まいに触れることはもうできなくなってしまった。なぜ物は、形があるときは堅実にふるまうのだろう。写真の表象は、その堅実さも、輪郭も、重さも、手触りも、佇まいも、、現実で既に空洞になっている知覚に対しても、本当のことのようにこの脳裏に触覚を感じさせる。その物が持っていた記憶の中の神聖は、写真に託そうと思っている。 物への弔いと、イメージという生き物への願いを込めて。
 2023年5月 松原 茉莉
Back to Top